選手インタビュー:佐藤 マクファーレン 優樹

自分がやるかやらないか…
必ず結果が付いてきますし、人も付いてきます。


佐藤 マクファーレン 優樹選手インタビュー

今回は、決起の時点からチームへ参加をしてくれている一人である
佐藤マクファーレン優樹選手にインタビュー。
自身のプロフィールとキャリア、3人制バスケやチームなどに関して、率直に
そして自然なトーンでおおいに語ってくれた。

海外で過ごした幼少期

ー『雑誌から飛び出して来たようなイケメン!』と、先日のオンライン記者会見のYouTubeを見た方からコメントをいただいています! まずは自己紹介をお願いします。

父親がオーストラリア人、母親が日本人のハーフです。生まれは東京の文京区なのですが、親の仕事の都合で4歳のときにシンガポールに移住。15歳まで過ごしたのち、上海へ1年半、そして東京へ帰ってきました。シンガポールは移民の国なので、いろいろな国の人と交流ができます。小さい頃にそれを経験できたのは非常に良かったですね。

バスケットボール は、5人制も3人制もプロで7年間やらせてもらっています。

ミスター・ワールド世界大会から学んだ意識の持ち方

ー佐藤選手はモデルとしても活躍されており、特に2016年にはミスター・ワールド世界大会に日本代表として出場されていますね。

世界大会はイギリスで開催されました。いろいろな国からさまざまな経歴の人たちが来ていたのですが、意外なことに元アスリートの人が多かったんですよ。
共通しているのが、みんな『筋肉と自分が大好き』なんですよね。
一人が脱ぐと、必ずみんな脱ぐんですよ(笑)。
ほんとにもう、どこからそんな自信が湧くんだろうって。
でもそれだけみんな努力されていますし、そんな人たちと触れ合えて、とても良い経験でした。

ーミス・ワールドもミスター・ワールドの方も、ものすごく努力されていますし、内側から来る美しさというものも併せてお持ちですよね!

スローガンが『目的のある美』ということなので、自分のステータス、発信力、そして美をどうやって世界に伝えられるか、どうやって世界に貢献できるかということを常に意識しています。


自分はバスケットボール選手という経歴があるので、小学生や大学生、新社会人に向けての講演会や学校訪問も行なっていまして、そうやっていろいろな人に刺激を与えて社会貢献できたらなと思いますね。
特に一番好きなのはバスケットクリニック。 小学生と一緒に白と赤の帽子も被ってやったりします(笑)。心身共に混ざってやっているつもりで、一緒に給食を食べたりもして、すごく楽しいです。

バスケの感動や夢を、これからは自分の手から

ー学生時代から長年バスケをされていて、これまでで何か特徴的なエピソードはありましたか?

一番は、プロになった初年度ですね。

まずNBL傘下のJBL2にあったデイトリックつくばのユースチームに入りました。
しかし、東京でプレイがしたいなという思いで、bjリーグの合同トライアルを受けたら、まずは練習生からということで、東京サンレーヴスに入団。シーズン開始の前日に(!)選手登録していただき、開幕戦にはプロ選手としてコートに立てました。
そのとき、チームメイトに青木康平(あおき こうへい)さんというbjリーグですごく有名な選手がいました。実は、中学校のときにサインをもらっていて、それがまさか一緒のチームになるという。さらにそれを覚えていてくれて、感動的でした!

ー夢がありますね!

はい。自分も20代後半なので、30歳くらいになると、実はあのとき教えてもらいましたとか、サインしてもらいましたっていうのが、自分にも来るかなぁなんて思っています。
実は、明治学院大学でコーチもやっていて、bjリーグのアカデミーで教えていた小学生が、推薦で新入生の一人として入ってくるということがありました。 次はプロの舞台でもそういう人が現れたらなぁと思っていますね。

あとは2017年のケガですね。

ちょうど一番いいシーズンのあとで、よし、ここからもっと飛躍していこう! と意気込んでいたときに、背骨を4ヶ所も骨折するという大きなケガをしました。
医師から3〜4ヶ月は歩けないと言われましたが、ベッドの上でトイレしたくなかったので、そこは気合と根性で歩きました(笑)。

復帰できる可能性は低いとも言われました。腰もひどい状態でしたし、脊髄が漏れていて慢性的な脳震盪みたいな感じでした。ちゃんとした治療法がないので、復帰したアスリートも全国で本当に少なくて……。

でも、幸いなことにいろいろな方の支えがあって、治療が成功し、7ヶ月の本当に長いリハビリを経て復帰できました。 家族や周りに人にたくさん支えられて前に進めましたし、おかげでまだバスケができているので、本当に感謝しかないですね。ですので、でき得る限りのことは一生懸命やろうと考えています。

尊敬していた2人の男性

ーこれまでずっとナンバーが0(ゼロ)番だったのを24番に変えたのは、なにか理由がありますか?

SATOのOに掛けていたのと、入場時に最初に呼ばれるので0番にしていました。ただ、父親が0番を嫌いだったんです。
秦 啓大(はた けいた)選手と一緒にSOMECITY(3×3形式のストリートバスケットボールリーグ)に出ていたときに、たまたま渡されたユニフォームが24番。バスケを始めたきっかけのコービー・ブライアント(Kobe Bryant)選手が付けていた番号なんです。ただ、コービー選手は亡くなられまして……。

実は、その少し前の2019年10月、急に父親を亡くしているんです。
本当に尊敬し愛していた男性二人が亡くなったことに対して、意を込めて番号を24番に変えました。

2020年1月26日10時(日本時間27日午前3時)頃、アメリカ合衆国西部ロサンゼルス近郊のカラバサスで、コービーと次女ジアナら9人が乗ったヘリコプターが墜落し、コービーを含む搭乗していた全員が死亡した。-Wikipediaより転載

ファンも選手も関わる人が楽しめる3×3

ー佐藤選手から見た3×3の魅力を教えてください。

3×3は、試合時間10分もしくは21点を先取した時点で終了なので、5対5に比べたらすごく展開が早いです。一人ひとりの責任が大きいですし、みんながある程度点を取らなければいけないので、推しの選手が活躍できる可能性が高いことが魅力ですね。

あと、いろんなロケーションでできるので、ファンの方もいろいろなところへ行けて楽しいと思いますし、選手も楽しみにしています。スケジュールを見て、この地域は絶対面白そうだな、とかみんなで話したりするんです。ここのご飯食べたいねとか。
本当に真剣にバスケに向き合っている方しかいないので、楽しいですよね!そういう人たちの想いを見るのも。

ーHIU ZEROCKETS.EXEに加入したきっかけは?

Twitterを見ていたら、まったく知らない人からメンション付きで、チームが始まる、選手募集しているという投稿がいくつか来ていました。調べて、これは絶対面白そうだなと思って、自分からアプローチして、そこからとんとん拍子に行きましたね、ありがたいことに。

固定概念に囚われないっていう同じ志があるので、そこで意気投合したかなと思います。

自分がやるかやらないかで、道が開く開かないの差もありますし、本当に何かを成し遂げたいなら自然に行動が生まれます。そうすると少なからず必ず結果が付いてきますし、人も付いてきます。

新型コロナだからこそ向き合えた苦手分野

ー今は新型コロナの問題で試合ができませんが、チームの状況はいかがですか?

チーム全体としては良くコミュニケーションを取っているので、早く一緒に練習や試合したいね、みんなでご飯行きたいねとか、よく話をしていますね。

今までは機材を使ったトレーニングが多かったんですけど、違うアプローチをしてみようかなと思い、苦手だった長距離走を克服するために週4か週5は坂道を含めて5km走っています。
あとは、柔軟性もあんまりヨロシクないので、ストレッチに時間をかけています。気付いたら深夜の2時とかになっていたこともあります(笑)。

HIU ZEROCKETS.EXEの一員として

ーそれでは最後に今後の目標とファンのみなさんへのメッセージをお願いします!

3×3のシーズンがもし開催されたら、必ずプレーオフに進み、ホームタウンの一つとして設定している、六本木ヒルズアリーナでもプレーオフがあります。
そこで試合ができるようにチーム一丸となって戦うので、HIU ZEROCKETS.EXEの応援をぜひよろしくお願いいたします!

ー力強いメッセージで頼もしいですね!本日はお忙しいところお時間をいただきまして、本当にありがとうございました!

ありがとうございました!

本稿は、HIU ZEROCKETS.EXEのYouTubeチャンネルにアップされたオンラインインタビューを元に作成しています。